ヨーロッパ諸国漫遊記

 

5期生ゼミ長(後期) 00E2456 山本光太郎

 

 

 就職活動も終わり、これから最後の夏休みを迎えようとしていた7月後半、一人旅に出ようと決める。これまで海外旅行には大学の短期セミナーやホームステイで何度か行って、訪れた国も10カ国を数えるが、旅行の手配から帰国まですべて自分で行った一人旅には一度も行った事がなかった。早速、最寄りの本屋に向かい旅行雑誌やガイドブックを読みあさるなか、高校の頃に専攻していた世界史の担当で自分の担任でもあった先生の言葉をふと思い出した。講義中に自分の行ったところがでてくると、講義を中断しては自分の旅行体験をヨーロッパ中心に自慢げに話して、「若いうちにはたくさん旅をしろ!」、「ヨーロッパはいいぞ!」「ホンモノを見てこい!」と繰り返し何度も言っていたことが記憶に残っている。私は書棚から「地球の歩き方ヨーロッパ編」を手にとって、行き先をヨーロッパと決めた。

 

8月19日 1日目:豊橋→名古屋国際空港→中正国際空港→台北駅

お盆も過ぎた8月19日、久々に名古屋は夏らしく晴れて、飛行機での長旅にはもってこいの天気となった。朝4時半に起こしてもらったが、いつものような準備不足からあたふたして出発はギリギリの時間となって、最寄りのバス停からエアーポートバスに飛び乗った。なんとか飛行機の時間には間に合いそうだ。空港に無事着きチケットを受け取り、出国審査へと向かう。ゲートを潜り抜ければ、そこは海外かと思うと気分が高揚してきた。中華航空機に乗り込み機内食が出ると、機内サービスのビールとワインで乾杯。そうしている間、2時間ちょっとのフライトで最初の目的地台北の中正国際空港に着いた。台北へは去年の正月に父と二人で旅した場所でちょっとした懐かしさがあった。そんな父はドイツ・イギリスを旅している真っ只中であった。以前の記憶をたどりながら一番安いエアーポートバスに乗り込み台北駅へと向かった。ここまでは見慣れた町並みであったが、台北駅周辺は大変込み入っていて、台北駅から近いホテルはずのホテルが一向に見つからず、一時間探し回っても見つからずに途方にくれていた。あまりの暑さにタピオカ入りのアイスティーでも飲もうと喫茶店に入ろうとした隣を見ると目指すホテルが見つかった。自分の生活一式を詰め込んだバックパックは肩にめり込んで、あまりの疲れから部屋で仮眠を取ることにした。眠りから覚め、日も暮れた台北の町へと繰り出すことにする。ガイドブックもなかったので、以前に楽しんだ士林の夜市へと行ってみた。あいにくの雨とSARSの観光への影響が色濃く残る町並みは店舗のシャッターが多く閉まり、以前のような活気はなかった。しばらく歩いていると、人の列を発見して並んでみる。日本でも有名なK社のより比べ物にならないほど大きなフライドチキンを40元で売っていて、だいぶ安かったので揚げたてを一つ買っておいしく味わった。MRTで台北駅に戻り、以前から気になっていた一人用の火鍋の店へと向かった。店は多くの人でにぎわい、見よう見まねでえびや野菜、牛肉をもちろん台湾ビールも一緒に注文した。ちょっと寂しいが、一人鍋を楽しんだ。

 

8月20日 2日目:台北駅→中正国際空港→タイ(経由)→

レオナルドダビンチ国際空港→テルミニ駅→ホテル

朝、5:30に起きる予定で前日フロントにモーニングコールをお願いしていたが、私の不慣れな英語が通じなかったらしく、無視されてしまったのだが、なんとか起床することができた。テレビでNHKBSの日本のニュースをチェックした後、朝食をとりに近くのマクドナルドへと向かった。時計を見ると飛行機の時間にあまり余裕がなかったので、テイクアウトにしてホテルをすぐにチェックイアウトして空港行きのバスに乗り込んだ。台北の街並みに別れを告げながら、朝マックを車内で食べているうちに、バスは空港へと着いた。急いでチェックインカウンターへ向かい、チケットを発券してもらうはずが、トラブルが発生した。某H社で依頼したチケットにTAXの記載漏れがあり、改めてTAXを払うことになった。帰国したら早速代理店にクレームを入れてやろうと思った。飛行機は予定通り8:55に離陸して一路バンコクへと向かった。バンコクに降り立つと、8年前に訪れた記憶がよみがえり、また来ようと思った。1時間もしないうちに機内に乗り込み、離陸。機内では、食事や映画を楽しみ、1年前に訪れたトルコの大地を眼下に望んで、一眠りしているとイタリアへと着いた。空港に降り立ち、手荷物を手にすると、早速両替を1万円をしたのだが、空港内ということもあって手数料はだいぶ高いがユーロを手にすることができた。こんなことなら日本で換金しておけばよかった。寝ぼけながら空港を出て適当に列車に乗ったら、ローマの玄関テルミニ駅に着いた。駅を出ると、日本や台北のようなアジアとは別世界。これから旅に不安と期待が入り混じり合いながら、ホテルへ直行した。部屋はきれいな造りではあるが、シャワーや照明はイマイチ。ローマのような観光都市で9千円の部屋ならこんなものかと納得した。テルミニ駅周辺はローマで随一治安が悪いと聞いていたので、夕食は手っ取り早く駅の食堂でとることにした。ラザニアとイタリアのBEEKビールを注文したら、以外においしくいただけた。ホテルへの帰りにジェラードも食べて、おとなしくホテルへと戻った。

 

8月21日 3日目:テルミニ駅→ユースホステル トレビの泉 スペイン広場

 コロッセオ 真実の口

 今日はローマ二日目だが、前日は駅前で食事をしただけだったので実質的に、今日がローマ初日みたいなものだった。また、バックパッカーの旅であるから、今日からの宿を一切予約は取ってない。ということで本日の寝床確保のため、ユースホステルへと向かった。地下鉄一日乗車券を使い、

テルミニ駅から地下鉄A線でオッタビアーノを下車してバスで10分揺られ、セリエAローマの本拠地の競技場に程近いオスッテロ(ユースホステル)に着く。真夏のイタリアだが予想通り冷房のないオスッテロに本日の寝床を確保するはずが、10時30分以降に受付開始ということで、10キロ近くはあるバックパックを背負ったまま、第一の観光ポイント、トレビの泉へと向かった。さすがに5日分の生活用品は重く、重量が身に応えた。日本人の観光客も含め多く観光客でトレビ泉はにぎわい、映画「ローマの休日」が好きな私は大感激。同じく同映画のロケーションのひとつ、スペイン広場へ向かった。アン王女がジェラードを食べた階段でカメラ片手にシャッターを何度も切った。反対側には有名ブランド店が並ぶが、こんな荷物では入店できない。昼も過ぎていたので簡単にマクドナルドで昼食を済ませて、次のスポットであるコロッセオへ向かった。映画「グラディエーター」のような戦いの風景がよみがえるような圧倒的な迫力があり、天気にも恵まれて、いい写真がとれた。その後、急ぎ足で次のサンタ・マリア・イン・コスメディアン教会へ向かった。あの有名な「真実の口」がある教会で、はずかしながらも列の後ろの観光客におねがいして、アン王女のように真実の口に手を入れた写真を撮影することができた。適当にレストランをさがして、ピザ一枚とハーフパイントのビールにありついたが、ピザはチーズが強すぎて口に合わなかったが全部腹に収めた。明日の食事には期待しよう。

 

8月22日 4日目:ヴァチカン→サン・ピエトロ寺院→ヴァチカン博物館→システィーナ礼拝堂

今日はヴァチカンに入国した。世界一小さな国として私も小学校の時から記憶しているが、キリスト教総本山でもありスケールは想像以上だった。早速、サン・ピエトロ寺院を見学。過去にイギリスなどで多くの教会を見てきたが、ココは格別。クリスチャンでもないが心ときめいた。その後、ローマの街並みが見渡せる、クーポラを登った。エレベーター利用で5ユーロ、階段で4ユーロだったので、迷わず階段を選んだ。汗だくになって頂上に上がれば、四方八方を見渡せ気分爽快で階段の疲れも吹っ飛ぶほどだった。次に隣接するヴァチカン博物館に行ってみた。中は教科書で見た通り、回廊が続いていて天井は美しい絵画が描かれていて、それ見ていたら首がおかしくなりそうになった。迷路のような館内を進むと、ミケランジェロの「最後の審判」で有名なシスティーナ礼拝堂があった。世界美術の最高傑作と言われ、多くの人が鑑賞している。たくさんの人が集まると人々はざわめきだす。係員が「シー」と注意するが、うるさくなりアナウンスが各国の言葉で流れる。係員の「シー」が5分に一回、アナウンスが15分に一回繰り返される。このアナウンスが一番うるさい気もするが、盗み撮りや暴れるけしからんやつもいるのでいたしかたない。ヴァチカンを出ると、地元の人でにぎわうジェラード屋さんを発見、食べてみた。果肉が豊富で、量も他とは半端じゃないジェラードに大満足だった。最後にバルベニーニの骸骨寺に行ってみた。一面しゃれこうべの中はひんやりしていて不気味だった。ドクロマークに飾ってみたり、服を着せてカマを持たせて死神のように展示していたりで一種の見せ物小屋のようで死者を冒とくしているようにも見えた。夕食にはパスタを選択。大好きなアラビアータとトスカーナ地方の白ワインに大満足してユースホステルに戻った。同じ部屋には日本人が居て、お互い一人旅だったので声をかけてみた。埼玉の狭山の人で、イギリスカンタベリーで留学中を利用してインターレイルパスを利用しての同じ一人旅をしている人だった。お互いの旅を話して夜は更けていった。

 

8月23日 5日目:テルミニ駅→フィレンツェSMN駅→ヴェッキオ橋→

ウフィツィ美術館→アカデミック美術館→ドゥオーモ

早起きをしてホステルをチェックアウト。テルミニ駅に行き、フィレンツェ行きのIC(インターシティー都市を結ぶ列車)に乗る。もちろん出発前に国内で用意しておいたユーレイルパスを利用してだ。列車の中は個室みたいで快適で出発前に買ったパンとスモークサーモンを食べた。相席のグループは早稲田大学の学生で自分と同じく就職が決まって卒業旅行に来ているということであった。キャノンや富士ゼロックス、成田空港など彼らの就職の話や旅行の話で盛り上がった。そうしていると、列車はフィレンツェに到着。運よく検察もなく切符代が浮いてラッキーだった。駅で4人と別れ、ヴェッキオ橋へ向かった。街並みは「冷静と情熱の間」で見たような風景で趣があった。橋の隣にはウフィツィ美術館がある。入り口の列に並び30分待ちで入場ボッティチェリの「春」「ヴィーナス誕生」など絵画を見入った。隣接のレストランでピザを食べたが、これが以外にうまかった。時間もなかったので、美術館を出るとユースホステルの寝床確保に向かったが遅かった。全室満室であきらめて帰ろうとすると格安のテントを薦められた。この際なんでもよくなってきたので、今日の宿泊はテントとなった。市内に戻ったがアカデミック美術館はすでに閉館、ドゥオーモも閉館。ツイてなかったが、夕食に食べたカルボナーラと白ワインはうまかった。ホテルに帰るとノルウェーのワインを学びにきている学生と相部屋で歓談した。自分のOASISのTシャツが気に入ったらしく、音楽の話で盛り上がった。

 

8月24日 6日目:フィレンツェSMN駅→ミラノセントラル駅→

サンタ・マリア・デッレ・グラッツィェ教会→ドゥオーモ→スカラ座

朝、起きるのがちょっと遅れたが、急いでチェックアウトに向かう。フロントは客でいっぱいになり、自分の番が来る頃には予約していたES(イタリアの新幹線)が出発していた。気を取り直して、次のESでミラノへ向かった。車内は揺れるが設備が快適で少し寝ることができた。ミラノに着くと、サンタ・マリア・デッレ・グラッツィェ教会へ向かった。ここはレオナルドダビンチの名作「最後の晩餐」のオリジナルが空襲にも耐え、現存し保管されている場所だった。チッケト売り場に向かうが、「完売」の立て札が立っていて、チケットが買えずあきらめた。エスプレッソで一休みした後、ドゥオーモに向かうが半分工事中、スカラ座も工事中でがっかりだった。その後、ユースホステルに行き大事な使命である部屋確保を済ませる。部屋には建築を目指す脱サラの関西の人が居た。旅行の経過を話すと、朝に行った「最後の晩餐」は夕方18時頃の回はキャンセル待ちが出て、予約なしに見ることができるとウラ技を教えてもらい、すぐに教会へと向かった。彼の言う通り、チケットは手に入り入館した。鑑賞できる時間は15分間のみで完全入れ替え制だったがダビンチの傑作を目の当たりにすることができた。ホステルに戻ると、関西人の方に早速礼を言った。

 

8月25日 7日目:ミラノセントラル駅→ベネチア(S.L)駅→サンマルコ寺院→

ため息橋→リアルト橋

今日は水の都ベニスへ向かう。ESでベニスへ入るには長い鉄橋を超えて、ベネチア(S.L)駅に着く。周りを見渡すと一面海が広がり、まるで海の中を進む船に乗っているようだった。駅に着き表に出ると、ベネチアは人で溢れかえっていた。後から聞けば、あの北野武監督が受賞した芸術の祭典が行われていて、いつにも増しての賑わいだということだった。ベネチアには車や自転車はなく、すべての交通が船による海運がメインだった。ユースホステルに向かうために、駅前のActvのバポレット(水上バス)に乗った。潮風に吹かれて、船はのんびり目的地に進む。このゆっくりとした時間の流れに心地よさを覚え、ベネチアがとても気に入った。ホステルはサンマルコ寺院の対岸で、海に面しているところにあった。チェックインして、近くのスーパーで買ったパンと生ハムにワインを食べていると、隣のベッドに日本人を見かけた。彼はボスニア帰りで青年海外協力隊をめざす柔道家だった。彼のボスニアの過酷な話を聞きながら対岸のサンマルコ寺院へ向かった。そこで別れ、夜に一緒に飲むことを約束した。ベネチアはいたるところに水路がめぐらされていて、そこをゴンドラがのどかに進む風景にため息橋リアルト橋マッチしていて、ベネチアを満喫することができた。夜に飲むワインとハムを買い込むと、日は暮れて対岸がきれいに映し出された。ホステルの前では宴会が催されていて、年配の日本人に招かれた。その人は高校で体育の教鞭をとる体育教師と、その周りには、工学院大学で建築を勉強する学生、南山大学のイギリスに留学中の学生、絵画を学ぶロシアの学生と柔道家の面々が勢揃いで飲み明かしていた。テンションがあがると、隣のジャグラーの集団と柔道家でパフォーマンス対決が始まる。お手玉やこん棒を器用に操るイタリア人に対して、柔道家は自前の柔道着に着替えて4人を飛び越える飛び込み受身を披露して盛り上がり、楽しい時間を過ごす。

 

8月26日 8日目:リド島→ベネチア(S.L)駅→ウィーン

今日は、ワインとサンドイッチを持ってビーチへ向かった。「ベニスに死す」のリド島のビーチをめざした。太陽もまぶしいが、水着を取って日焼けする女性もまぶしかった。自分もその隣で日焼けしながら仮眠してゆっくり過ごす。夜はベネチアには泊まらず、夜行列車に乗り込んだ。明日は国境を越えでオーストリアに入国で楽しみだ。車掌にチケットとパスポートを預けて就寝した。

 

8月27日 9日目:ベネチア(S.L)駅→ウィーン駅(SUD)→ウィーン美術館→

シュテファン寺院

ウィーンは音楽の街。朝にウィーンに到着後、寝台車のコーヒ−サービスを駅構内のレストランで受けると、まるでネスカフェのCMのような気分に浸った。ユースホステルに寝床を確保すると、日本人を見つける。沖縄出身で武蔵野音大卒、現在フルートの勉強をドイツでしている学生と出会った。意気投合して夜に一緒に食事することを約束する。彼の紹介でおいしいポークソテーを食べさせてくれるというので楽しみだった。彼と別れるともう夕方で、急いでウィーン美術館に向かう。着いたのが閉館30分前で、警備員に入館を拒否される。しかし、ここで引き下がってはもったいないと思って、必死にへたくそな英語でアピールする。なんとか入れさせてもらって、館内を少ない時間ではあるが見学することができた。ハプスブルグ家の収集したコレクションを満喫し、ブリューゲル「バベルの塔」「雪中の狩人」やルーベンスを見ることができた。その後、モーツァルトベートーベンシューベルトの銅像を見学。急いで待ち合わせのシュテファン寺院向かった。しばらくすると、ホステルで知り合った沖縄の人と合流し、レストランへ行ってみた。薦められる通りにホイゲリというワインの新酒と、ポークを食した。おいしい食事にこのワインがとてもよく合う。店の閉店まで居座りウィーンの夜を楽しんだ。

 

8月29日 10日目:ウィーン西駅→ザルツブルグ→モーツアルトの生家→城

朝、ご飯を昨日知り合った日本人の方と食べ、ウィーン西駅まで一緒に行き別れた。彼は日本人の音楽の先生のところへと向かった。ちょうどいい時刻のICに乗って私は、モーツアルトの故郷ザルツブルグに向かった。国境を越えたあたりの車窓は映画「サウンド・オブ・ミュージック」のような丘陵が広がっていた。山と山に挟まれるかのようにザウツブルグの都市は広がっている。駅に着き、外に出ると部屋確保のためユースホステルへ急ぐ。そこは、民間で運営しているドミトリーで、シャワーが6分間しかでないというのがちょっとツライが値段を考えると、ここに決めた。荷物を手放すと、「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となった庭園に行った。天気はよくなかったが、手入れの行き届いた庭園で何枚も写真を撮った。次に、モーツアルトの生家に向かった。建物全体がピンクで遠くからもすぐにわかり、中はモーツアルトにまつわるピアノや楽譜などが展示されている。街を見渡すことのできる高台に建つ城へ向かう途中、ドミトリーで見かけた韓国人女性にばったり会って、彼女も城へ向かうと言うので同行した。彼女はドイツのMANという会社に勤めるOLで、休暇を利用してヨーロッパを旅しているという。英語を介して日本や韓国、ドイツの話に盛り上がりながら、城やサウンド・オブ・ミュージックの修道院の見学からショッピング、夜の散歩を楽しんだ。夕食はテイクアウトのケバブサンドだったが、彼女との食事はとても楽しい時間だった。

 

8月30日 11日目:ザルツブルグ駅→ミューヘン駅→市役所→BMW本社

当初は、フランクフルト滞在の予定だったが、昨日の彼女の提案でミューヘンへ行くことにする。彼女と一緒の列車で、ミューヘン駅到着後にそれぞれの目的地へと向かった。ミューヘンはなんといってもビールが大変有名で、今日は昼から街の市場で名物のビールを飲むことにした。列に並んで、前に並んでいた大柄のドイツ人男性と同じものを注文した。長細いジョッキに注がれたビールとソースたっぷりの白いウインナーに塩味のパンを食べた。昼からほろ酔い気分で、気持ちがいい。市役所の仕掛け時計に見とれて、そのまま地下鉄に乗り、オリンピック公園隣のBMW本社へ向かった。ミュージアムは古い建物だったが、モダンな造りで年代モノのBMWを見学した。夜は本に紹介された店ではなく、地元のドイツ人が集うビアガーデンに行ってみた。年配のドイツ人に手ほどきを受けながら地のビールを飲んだ。

 

8月31日 12日目:ミューヘン駅→アムステルダム中央駅→マヘレの跳ね橋→飾り窓地区→

ダム広場→アンネフランクの家→ハイネケン本社→ゴッホ美術館

最終目的地アムステルダムへ向かうCNL(夜行列車)では昨日のビールでよく眠れ、とてもいい目覚めだった。東京駅のモデルとなったアムステルダム中央駅に着くといつものように、寝床確保に迷走した。今までの国とはずいぶん不陰気が違い、所々にあるコーヒーショップではマリファナが売られていて奇妙な風景だった。一応、ユースホステルは薬物禁止で一安心であった。近くのデパートでフルーツ中心に昼食を取る。その後、水路がめぐる街、マヘレの跳ね橋を見学。運よく船が跳ね橋を通るところに遭遇して、橋の開閉を写真に収めることができた。次に、水路を挟んで異様空気の流れる地域、飾り窓地区に出くわした。この地域では政府が認める娼婦街で、何人もの売人が薬物を売りつけに声をかけてきて、身の危険を感じ安全な場所へと引き返した。ダム広場でトラム(路面電車)を乗り換え、アンネフランクの家に行ってみた。中は迷路のように入り組んで、ナチスから逃げて暮らす様子が伺えた。また、ハイネケン本社では見学したりビールの試飲して、記念品ももらった。その後、となりのゴッホ美術館でゴッホの作品を鑑賞した。ゴッホの自画像やひまわりが印象的で目に焼き付けてきた。この日は、となりの公園でフェスティバルを開催していて、BUSTEDのライブやジャズを楽しみ私は一人旅を終えた。

 

卒業旅行:10月29日〜115

名古屋―(仁川経由)→ローマ・レオナルドダビンチ空港→ローマ[ローマ観光]

フィレンツェ[フィレンツェ観光]―(ミラノ経由)→フランス・ベルシー駅→

モンパルナス駅→レンヌ→モンパルナス[パリ観光]→ヴェルサイユ→

シャルルドゴール―(仁川経由)→名古屋

もしかしたら、夏にトレビの泉で投げたコインの願いが届いた結果なのか、卒業旅行のため再びヨーロッパに行く事になった。今回は大学の友達を含め4人での旅となった。中には、海外未経験者も居たので、夏のようなバックパッカーとは異なる安全に配慮して自分の手配による大韓航空使用でホテル滞在型の旅行となった。10月29日に授業を勝手に一日分自主休講させてもらって旅にでた一週間というハードスケジュールであるが、名古屋から韓国の仁川空港を経由して北周りでローマ入国を果たした。滞在はテルミニ駅周辺のヨーロピアンスタイルのホテルで、前回とは異なるワンランク上のホテル暮らしをして、食事も一段と奮発した。特においしかったのはスペイン広場周辺で食べたシャコガイのペスカトーレが最高で、日本ではなかなか味わえない極上のうまさだった。また、フィレンツェでは有名なTボーンステーキも味わうことができた。きどらない不陰気のレストランでいただいた料理はトスカーナのワインと相性抜群で、イタリアグルメを堪能することができた。イタリアの観光ルートはほぼ前回と一緒だったので、自分が観光案内役を引き受けた。そして、観光ポイントにはもちろんトレビの泉も入れて、夏とおなじように願いを込めて4人でコインを放り投げた。4人の旅には、当然ハプニングも付き物であった。フィレンツェからミラノを経由して寝台列車に乗る予定で列車を予約してあったが、フィレンツェ発のESが大幅に遅れてしまって、事実上寝台車が出発してしまう時間に着いたら列車が待っていてくれて、無事にフランスに入国できた。1時間の遅れを挽回するイタリアの列車にも驚いたが、あまりの急がしさに青ざめていた友達の顔も今では笑って思い出す出来事となった。しかし、この運にも見はなされのか翌日のモンサンミッシェル行きのことであった。前日の慌しさからか、TGV(フランスの新幹線)で途中の駅まで行けたものの、すでにモンサンミッシェル行きが終わってしまい途方に暮れることもあった。でも、機転を利かせて一路パリに戻って観光を再開し、エッフェル塔から凱旋門シャンゼリゼを駆け巡った。翌日も地下鉄の回数券を使って精力的に回った。空いた時間にはシャンゼリゼ通りでルイヴィトン本店などショッピングを楽しんで、疲れたらカフェで休憩を取り夕食はフレンチを楽しむ優雅な生活を楽しめた。特に夕食はビストロからフレンチのコースを堪能した。もちろんテーブルマナーに奮闘し、店員お勧めのフランスワインを必ず注文してスマートに振舞った。芸術の都パリでは見逃せないルーブルオルセー美術館もたっぷり時間をとった。教科書で見るようなゴッホやルノワール、ダビンチの作品を食い入るように見て感激した。この一年にホンモノの美術品を鑑賞できて絵に興味がいっそう深まった気がする。締めくくりは、当初の予定にはなかったが思いつきで、ベルバラで有名なヴェルサイユ宮殿に行ってみた。壮大な敷地、贅沢を尽くした宮殿や庭園に見とれた。行けなかったモンサンミッシェルの名残惜しさもあるが、再びこのヨーロッパに訪れることを心に決めて帰路についた。

 

これまでいろいろな国を訪れて、さまざまな文化、歴史に触れて自分の視野が広がった。思いでの詰まった8冊のアルバムを開くと、楽しい思い出が鮮明に蘇ってくる。映画館のアルバイトで稼いだお金をほとんど旅行に費やしてきたが、この経験・感動はプライスレスである。これから社会人となって忙しくなるが、行ったことのない国もまだたくさんある。精力的に旅をして、カメラ片手に世界遺産ハンティングを続けていきたいと思う。